メンタリストDaiGo炎上の問題発言について
メンタリストDaiGo、生活保護受給者や路上生活者へ“差別”発言で物議 日刊スポーツ[2021年8月13日8時48分]
このニュースにドッキリ
このニュースを見てわたしはハッとしました。こんな記事を書いていたからです。
クレバ号への激励の電話を揶揄して、果たしてバックレする警察官がいたとして激励の電話が来るだろうか?依願退職になるなら引き取るという女性もいないだろうと皮肉っていたのです。
DaiGoにパクられた?
メンタリストDaiGoは私のブログを見てパクって炎上したのだろうか?
そんなわけはありませんね!
このブログのアクセス数はごくごくわずかです。
※万が一参考にしていたのでしたらこのブログにこっそりコメントください。書き込みは承認公開です。
内容がかぶってるように感じたため、自分も少し気になりました。もしかしたら自分のブログ記事もよくなかったのかもしれないなと。取り上げ方は逆ですけどね。わたしは「かわいい」による熱狂を疑問視しています。
メンタリストDaiGoさん炎上について思う
「人間の命と猫の命は、人間の命の方が重いなんて全く思っていないからね。自分にとって必要がない命はぼくにとっては軽いので。ホームレスの命はどうでもいい」
この発言は個人の自由だと言われればそうなんです。でもこの発言からメンタリストDaiGoさんは広告契約を解除されました。実は芸能人は首輪付きの家畜みたいなものなんですね。一般人よりはイメージ商売なので行動や発言が監視されて何かがあった場合、仕事を失います。下手したらホームレスです。言った時に気づかなかったかもしれないけど、ホームレスは芸能人やYoutuberに身近な存在かもしれないのです。10年後、20年後も同じ人気で同じ収入かはわからない商売なんですから。
>猫はかわいいじゃんって思うどね、ぼくはね
つぎに個人的意見としての発言を強調するなー、と感じました。こういうのは同意させるためのテクニックの場合もあります。
この問題はカワイイという言葉の罪もあるでしょうね。じゃ、日本基準のKAWAIIに合致しない女性はどうなるんでしょうか。太ってる、痩せてない、などなど。「日本基準」と言ったのは国や時代によって美人の基準は変わるんです。日本人は厚化粧だと問題視する外国人もいます。JIS規格みたいな「かわいい」があり、それが一部外国人にもウケてるかもしれない。でも、それは勝手に決められたものであり、ある程度の合意はあれど集団主義の日本でしか多数派として通用しないものです。ペットについても、たまにトカゲがかわいいという女性もいますよね。それでもほんとはいいのですよ。
きっと「かわいい」は女性を商品化するための方便でもあるんです。女性はカワイイを崇め奉りなさい、かわいくなりなさい。そんな圧迫感を女性は感じませんか。そんなもんどうでもええ、うまいもの食えればいいし、かわいいなんて糞の役にも立たない。かわいかったらロクな男が寄ってこない。化粧もめんどくせえ。屁もこきたい。ほんとはそれでいいのですよ。
この「正論」や「論破」にみえる指摘には反感やモヤモヤした気持ちを引き起こします。一部に熱狂的な支持者がみつかったとしても、です。
みんな思わない? どちらかといえば、いない方が良くない?
この同意を求める言い方が個人的意見の延長なんです。ホームレスがいないほうがいい。これはイエスですよね。でもいないほうがいいから消し去ろうとする。これはどうなんだろう?と思います。ホームレスの数は経済政策の失敗の目印です。だから増減はわかるほうがいいのです。隠されていて隠しきれなくなったら暴動が起きるよりはいいですよ。
それと、芸能人も老後に困窮するんです。じつは芸能人も他人事ではないお話なのかもしれません。
おもらいさんという慣習
>「邪魔だしさ、プラスにならないしさ、くさいしさ。ね。治安悪くなるし、いない方が良いじゃん。猫はかわいいじゃんって思うどね、ぼくはね」とまくし立てた。
おもらいさんという制度?風習?ことば?があったみたいです。
かんたんにいうと、托鉢をするホームレスです。でも、ぞんざいに扱わずに食べ物を分け与えているのがふつうだったみたいなんですね。仙台のおもらいさんは福の神扱いでええお洋服着てたみたいです。おもらいさんがくると商売繁盛したみたいです。おもらいさんと言っても、いやなお店は断ったりしてたみたいで不思議ですね。
ふと、「はだかの大将」のドラマを思い出しました。昔あったドラマで山下清という知的障害者で放浪して絵を描いた画家、でもいわばホームレスです。母親から親切な人におにぎりをもらって暮らしなさいと言われたとドラマでは語ってました。たぶん、おもらいさんだったんでしょう。そして画家として有名になってしまったわけです。こんな世の中が日本にはあったんですね。昔を忘れていつから変わってきたのでしょうね。
これはまた違うと思いますけどサンカという放浪民族もいたみたいです。山の中を鍋一つだけ持ってずっと渡り歩くような民族です。明治政府あたりが定住政策をとっていなくなったみたいですね。近代化の過程で失われた文化は結構あります。そのなかに今も続いていればよかった制度もあったでしょうね。
「元々人間は自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑してきているんですよ。だから犯罪者殺すのと同じですよ。犯罪者が社会にいると問題ですし、みんなに害があるでしょ。だから殺すんですよ。はい。同じですよ」
この話を見てください。サルの群れではこんなことがあったみたいです。
たとえば「群れ全体の利益」を独り占めするのにどうすればいいか?
- 群れを全滅させて一人になればいい。それは極端すぎる。
- じゃあ弱いのはどんどん殺していけばいい。こんどは程度の問題です。そうしていくと自分が弱ったときに倒されてしまいそうですね。
- 障害のある子ザルを抱いたボス猿、これは印象がよさそうです。
- 選挙でもありますよね。立候補者が子供を抱いて写るのが。人間の女性がやると性差の誇張でもあり小賢しい感じがしますけど。みなさんはどうです?
- これはオスのボス猿がやるところがポイントです。これも動物かわいいみたいな差別かもしれません。
- 「利益」とは安心感や結束力もあるんです。数値化できないから合理的判断が難しいですけど、サルの世界では長期政権になったみたいですよ。日本の社会はいじめやパワハラも多いのでメンタリストDaiGoさんの考えがいまのところは正しいのかもしれません。
- だれか政治家の皆さんでやってみませんか?障害者を抱いて政治活動をしたら長期政権になるかもしれませんよ。そういえばメンタリストDaiGoさんも竹下家の血を引くので政治家を待望されてましたね。
この発言には、「この優生思想を肯定してはいけない。危険すぎる」「この人、命に差をつけ、倫理観も著しく欠如している。いじめが連鎖する構図そのもの」
私もこの発言には違和感を覚えるんです。この人たちが相手を説得しようと思っていなくて断罪するだけで終わっているからです。命に差があるのは事実です。トリアージは救える命が優先されます。おなじ重傷者でもお年寄りより若い人が優先されるかもしれません。コロナの入院では要人は優先されました。命に差はありますし能力にも差があります。そこで差があるから末端はどう扱ってもいいとしてしまうんですね。自分が末端の人間になることを想定していないからです。
糖尿病が自己責任だと騒ぐ人もそうです。糖尿病は年老いて筋肉が失われていくことでなる場合もあります。政治家のような多忙な非ブルーカラーもなるでしょう。こういうことを言わなくとも糖尿病が増えれば早死にして年金受給が減るんだからあなたがたの野望のためには黙っておけばいいんじゃないでしょうか、とも思ってしまいました。なんのために発言しているんだろう?と。糖尿病患者を怒らせたいのか、糖尿病は自己責任として長生きするように努力しろと注意喚起してるのか、なんだかわからないです。
ホームレスも猫が好き
多摩川で流されたおじさん
多摩川に猫と流されたホームレスの“おじさん”を忘れない~令和元年の台風水害の記憶~
「もうすぐ、高野さんと猫たちが多摩川に流されて1年になります。台風19号の襲来直前まで、近くのエサ場やご自分の小屋の周りで24匹の猫を世話していました。いつも笑顔で……」と、青空を飛び交うトンボを見つめながら語ります。
かなしいおはなしですね。ホームレスも猫をかわいがってたんですよ。
岐阜のホームレス殺人被害者
「猫たちが帰り待っている」共に生活した女性語る
やっぱり猫をかわいがってます。
都庁のホームレスが飼う猫タワー
これは見ると圧巻です。猫が幸せそうにくつろいでます。募金箱があるので猫にお賽銭いれてほしいみたいです。これだけの数だとエサ代が大変そうですね。
メンタリストDaiGoさんにはこれらを見て考えてもらうかホームレスと対話してみてほしい。ねこをとおしてホームレスを理解することは可能かもしれませんよ。
ペット依存の孤独
これが意味するものは猫が好きな人は孤独なんじゃないか。ペットロスの話がありますよね。過度にペットに依存しているんじゃないかと思えてきます。動物が好き。これは実は孤独による依存かもしれません。薬物みたいに規制されることはないですけどね。
ムツゴロウ王国
ムツゴロウ王国というものがありました。今もあると思います。
動物好きのおとなしい若者をやりがい搾取してるみたいなイメージで口コミがあったのを覚えています。
孤独な人を動物を通して癒す、ならいいのですが、依存させることもあるんじゃないでしょうか。
ムツゴロウさんはユニークな方で麻雀がプロ並だとか大麻で賞をとったなどの逸話があります。
最近は信頼している人に任せていた東京ムツゴロウ王国の債務を背負っていたみたいです。
子猫物語伝説
ムツゴロウさんと言えば「子猫物語」という映画が有名なんですがその撮影の逸話もすごいですね。
動物保護運動家のジャッキー・ケントは、撮影中に20匹以上の猫が殺されたと主張している。また、フラフラとした歩きを演出するために猫の肉球に傷をつけるなど、数匹の動物が怪我をしているという報告もある。
「女性自身」では弟の告発を受け、同年10月20日号で、複数の映画スタッフ、元王国スタッフに話を聞いているのだが、それを裏付けるような証言がいくつも飛び出している。
「あるシーンでチャトランに麻酔をして撮りましたが、投与する量を間違えたのか結局、麻酔から覚めずに死んでしまったと聞きました」「映画に使ったチャトランの数は1匹だけではなく、20匹いましたら、そのなかの1匹が交通事故にあって死んでしまったんです」「(チャトランが高い崖から落ちるシーンは)王国のスタッフが(ガケを)登って猫を放り投げていました」
なんとも衝撃的な証言ばかりだが、こうした記事に対してムツゴロウさんは当時、「女性自身」のライバル誌「女性セブン」で完全否定している。
うーん、これも「かわいい」が生み出した現実なのかもしれません。「かわいい」は演出であり、ほんとは女性もねこもかわいくないですからね。都合のいいことばかりではありません。
子猫可哀想物語と題された映画レビューもみつかりました。
どうぶつがすき?それとも孤独?
どうぶつがすき。これは世の人間が信用できないことの裏返しかもしれません。
ホームレスが生まれるのは人は孤独になるところから。
そしておひとりさま社会です。
なぜそうなったかはいじめやパワハラや家庭内問題からなんとなく想像できます。
家制度が崩壊し核家族になり日本は核家族まで崩壊していきます。日本の家庭はなくなりそうです。
メンタリストDaiGoさんもどうなんでしょうか。猫が好きなのは人を愛せないからかもしれません。ネットや有名人としてのフィルターで人と接するのもどこかで寂しいのかもしれませんね。人間として率直な付き合いが難しくなりますから。
で、ちょっと調子に乗って偏った意見を飛ばすとネットでは人気が出ます。そうすると寂しさがまぎれるのかもしれません。
聴衆がワーッとなるのは麻薬のようなものです。政治家に集まり拍手する聴衆、それに反対する活動家、どっちも世間からみると逸脱した存在なんですけど、どちらの人たちも自分たちの行動に酔って依存してるようにみえます。
俗世間に呆れて、ペットをかわいがることはよくあることかもしれません。でも代行品として適切なのかはわかりません。気ままな猫は「飼い主の替えはいくらでもいる」とブラック企業の社長のように考えているかもしれませんよ。
どうぶつが好きな方へ
動物が好きだという方に少し知ってもらいたいことがあります。まず、動物も残酷だということを。動物も不倫をします。結婚がないのですから不倫ではないですけど、べつのオスと子供ができた時、こどもをどうするか。殺しちゃうこともあるみたいです。動物は子供をたくさん産みます。でも、母乳が出る数は子供の数と一致しないこともあるみたいです。そうしたばあい、体の弱い赤ちゃんから弱って死んでしまうみたいです。動物園のひとたちが書いてる本や、動物の生態を調査している人たちの本に詳しく書かれてるかもしれません。むかし、いきもの地球紀行というテレビをたしかNHKでやってたと思います。そういったテレビでも少し触れているかもしれません。
本能的な行動や動物的な自然な考えとは人間社会とは少し違うかもしれません。でも、人間の社会でも起こってることと何となく関係がありそうですよね。
子供がたくさん生まれた場合、人間はどうしてたか?粉ミルクがあればなんとかなりますね。そうでないときは、ほかのひとから母乳をもらったりしていたのです。それができない場合は、子供が育てられません。死んじゃうかもしれません。間引き、という言葉があります。ひどいと思うかもしれませんが、子供を殺すことです。なぜそうなったか聞いたことがあります。米が不作で食料がない。あ、この食糧がこれだけだと母乳が出なくなる。わかるんだそうです。だから間引きというのが起こって、さらに子供を売りに出すようなことがあったそうです。不況や不作で妹が売られた。そんなことが226事件の遠因になったみたいです。いまはそんなことがないかというと、貧しいからパパ活するのは似たようなものなのかもしれません。妊娠して困って遺棄してしまう人がいることからも同じように見えます。かといって育てようとしたら、、、働くこともできずにホームレスになってしまうかもしれません。時代は違いますし、問題点も少し違います。でも、人間の過去の問題や動物の自然な行動から学ぶことはあるかもしれません。どう学ぶかは人次第ですけどね。むかしの人を間引きをしたからひどいというのは簡単です。途上国で子供を売るのがひどいというのも簡単ですね。でも、ちょっと前まで日本も同じことがあったかもしれない。なんでだろう?そう思って調べてみると、今と大して変わらない実情が見えてくるのかもしれません。丁稚奉公や遊郭に連れていかれた子供がどうなったか。生き残ったひとったちはいい話しか出てきませんけどね、大変なことがあったと思いますよ。死んじゃう子供もいたかもしれません。似たようなことが現在でも途上国ではあるんでしょう。
ペットがかわいい、じゃあこどもはかわいくないのか。思い通りにならなければかわいくない親もいるのかもしれません。成績とか就職ですね。そうなるとどうなっていくか。人間が嫌になりますね。ペットに依存するのかもしれません。
追記:メンタリストさんへの助言
私が気付いたのは、あなたと一緒でホームレスも猫が好きだということ。それは孤独だからかもしれない。ということは猫がかわいいと思うメンタリストさんと気があうのかもしれない。試しに声をかけて回ってはいかがでしょう。政治家に擁立ということであればこうしたドブ板選挙のような地道な人々との対話が必要になります。Youtuberとしてのネタにもなると思います(ホームレスが出演同意してくれれば、ですけど)。
ホームレスに転落しそうな芸能人の先輩と対話してみると現実がみえてくるかもしれません。野球選手も芸能人も高給はごくごく一部の人かつ一時期で年金があるわけでも退職金があるわけでもありません。税金なんかを考えるとサラリーマンや公務員より貧しい老後になるのかもしれませんよ。
とはいえ、人が変わるのは難しいです。ホームレスを馬鹿にする同じ気持ちのままかもしれません。また、ほかの政治家も表向きだけいい人を演じてるだけかもしれません。ある程度儲かっているYoutuberならマーケティングツールも使えるかもしれません。日本の貧困化が進んでいるのはそういうところからも見えてくると思います。ネットが使えなくなるほどの貧困が蔓延すればYoutuberは成り立たなくなっていきます。
こうしたことを考えると、実はメンタリストさんもホームレスと隣り合わせかもしれない。使い捨てにされるブームとはそういうことです。どうでもいいものを持ち上げて飽きたら捨てる。そういう浅いブームは何も生まない。